2011 年 05 月

支援者訪問報告⑥≪番外編・再び相馬へ!≫

 ・実は2回目の訪問先の相馬市の避難所の方から、「子どもがもう一度会いたい!」って泣いていると連絡が!
・そこで、急きょ岩手から名古屋への帰り道に再び相馬にサプライズ訪問しました!

【2回目の相馬訪問報告】

 最後の訪問地として、相馬市の体育館を訪ねました。こちらは子供が非常に多く、にぎやかな雰囲気がうかがえました。ただ、大人の方々は疲労の色が窺え、避難所のリーダーの方も疲弊しきっていたため、長い避難所暮らしの限界がきているように見受けられました。岩手県内では他県ナンバーや災害支援車両を昼夜問わず見かけましたが、福島県内ではそのような車は少なく、相馬市内にいたってはほとんど車が走っていないなど、県ごとの支援状況に違いが見られました。原発の影響に対する不安が大きいのだと思われます。

 こういった状況から、福島県内にはまだまだ多くのアレルギー関連のニーズが残されているように感じました。

110511相馬市(帰り)②

支援者訪問報告⑤≪総括編≫

 引き続き、少し過去に戻るカタチで、GWボランティア活動報告を紹介していきます。

・5月27日から急ぎ足で動いてくれた特別ボラ活動参加の学生さん3人。
・こんなにテキパキと動けるのは「やる気・使命感」に加え「若さ」でしょうか・・・。本当にありがとうございました!

【総括】

 Yくん:「活動期間も短く、あまりお役に立てなかったかもしれませんが、多くの被災者の方々との交流、避難所訪問といった活動は大変貴重な体験となりました。今後も、こういった“本当に”人の為になる活動が続けられていくよう祈っております。」

 Rくん:「今回初めて参加した災害ボランティアで感じたことは、いかに災害ボランティアというものが難しいか、だった。。自身を含め、ボランティアを志願する者に往々にしてある問題として、気が入りすぎて周りとの連携が希薄になったり、注意力が散漫になったりしてしまうということがある。各個人で考え方に違いがあり、それぞれが、自分の方が正しいと信じて行動しようとする。また、理想と実際に出来ることとの差に落胆したり憤ったりしてしまうことも多く、なかなか冷静でいられないという現実もある。こうした問題に対して、冷静に物事を判断し取り纏められる人材が各被災地の拠点に必要だと思う。今回の活動で現地の人にお話を伺い、皆感謝の言葉を述べていたことで、この活動の意義を分からせてくれた。被災者の方が安心してくらせるようになるよう今後貴来団体の存在が必要になってくると思われます。」

 Oくん:「電話であまり相談ばかりしていると図々しいと気が引けるようで、私達のようなボランティアを通じ間接的に伝えたいことがあるようです。今後も可能ならば直接話しを伺うことが出来たらより良いかもしれない。」

支援者訪問報告④≪岩手:避難所ポスター掲示とボランティアセンター状況報告≫

 引き続き、少し過去に戻るカタチで、GWボランティア活動報告を紹介していきます。

【被災地、避難所について】

 被災地は震災直後のテレビ映像と変わらないようなところ(陸前高田市など)もあったが、それ以外は自衛隊により道路はおおよそ通行可能になっており、コンビニやスーパーなども開いているところが多く、復旧に向けた動きが広がっているように感じられた。

 自衛隊や多くのボランティア団体によって各避難所における物資の不均等は無くなりつつあるように見え、物資に関しては比較的充足しているような印象を受けた。また、多くの避難所が解散しており、仮設住宅への入居が決まるなど被災者の生活も次の段階へと移行しつつある様子だった。ただ、まだある避難所の多くは、市や県、自衛隊にボランティアなど多くの訪問者に対してうんざりしている様で、中には支援者に対して怒鳴る被災者もいるため、支援する側もあれこれ訊くのではなく、必要最低限のことを述べるだけにしたほうが良いような雰囲気だった。

 避難所の規模が小さい公民館程度の所は被災者の中でリーダー(本部)が決まっており、その人が避難者をうまくまとめようと頑張っているという印象を受けた。これは、田舎特有の結びつきの強さがあってこそ成り立っているのだと思われる。これに対して、体育館などの大きめの避難所は、県や市の職員が避難所を取りまとめており、地元の住民でなく・慣れない仕事としてやっているからか分からないが、担当者が大分疲弊している様子が窺えた。また、彼らが定時に行う日々の連絡事項のアナウンスも住民が熱心に聞いている様には到底思えなかった。大規模な避難所は支援する側には便利かもしれないが、運営の難しさが大きいと思われた。無理かもしれないが担当者の増員と十分な休息を要するように感じられた。

【岩手(釜石市・大船渡市・陸前高田市)の状況】

 どの街も津波の被害が激しく、沿岸地では巨大な堤防が流された場所なども見られ、今回の地震の大きさ、また津波被害の恐ろしさを実感いたしました。釜石市では大型のコンテナ船が漁港に乗り上げており、周辺では車がひっくりかえっていたりなど、現実とは思えない光景が広がっておりました。

 釜石市から沿岸沿いに車を走らせ、大船渡市に入って避難所を回りましたが、こちらの街ではインフラの修繕が大方終わっており、水や電気、ガスといった面では不自由がないようでした。また物資の面でも十分な量が行きわたっているようであり、既に多くの避難所が解散していることから、大船渡市に関しては復興が始まりつつあるように見えました。ただ、沿岸部に関してはやはり津波の被害が激しく、堤防全体が水没している箇所、木々がすべて同じ方向に流されている箇所、また沖合を漂流する屋根などが見られ、今後もがれき撤去や沖合の漂流物回収など多くの復興への前段作業が残されていると感じました。

 陸前高田市は今回訪問した被災地の中では最も被害状況が凄まじく、かなり山のほうまで(沿岸から3~4kmといったところ)まで津波が押し寄せた形跡がありました。国道46号線はほぼ復旧しておりましたが、いたるところで通行止めになっており、がれき撤去も進んでいないようでした。建物の4階まで津波が達していた場所もあり、津波の高さがうかがえました。避難所めぐりでは被害の大きかった地域、そうでない地域で明らかに疲弊度の違いがみられ、被害の大きかった地域の方々はかなり精神的に消耗しておられるようでした。とても険悪なムードで対応をされたところもあり、被災者の方に対する対応には細心の注意を払って行動するようこころがけました。こういった箇所での広告お願い、ニーズ調査には難しいものもありましたが、余裕のある地域の方々でもまだまた足りない物資が多くあるようで、被害が大きかった地域の物資不足は深刻な状況にあるのではないか、と思えました。今後そういった地域への物資充足が進み、ある程度緊張が和らいだころに再度訪問することで、アレルギー関連のニーズを拾うことも可能になるかもしれません。

110509津波