2011 年 04 月

支援活動の壁① 「アレルギーっ子はどこに隠れているの?!」

 先日お伝えした今後の支援のあり方について、少し振り返りながらお伝えしようと思います。

 私たちは、今回のような大災害時の支援方法自体もですが、あまりにも支援を必要としている方々の所在がつかめない事にずっと苦労をし続けています。

 もちろん、支援を求める連絡は入りましたが、それでも連絡が入った件数以上にもっともっと困っている方は多いはずです。

連絡がないのは、
 ①アレルギー患者が少ない/すでに疎開した
 ②限られた支給で何とかなっているから、特別な要求をしない/出来ない
 ③支援があることを知らない
のうち、②と③が大きな問題だと考えています。

 これは過去の阪神淡路大震災の支援活動時に見られた問題の一つです。「自分よりもっと大変な人がいるから…」という心理のもと、支援や理解を求めたり訴えたりしないのです。さらに、東北の地域性と言われる忍耐強さやおくゆかしさも関係するように考えています。

 ①に関しては、統計データから分析しましたが、特別に東北地方にアレルギーっ子が少ないというわけではない、という結論が出ました。

 アレルギー患者は人口比で2~3%と言われ、そもそも多いわけではありませんが、決して少ない数ではありません。もし仮に、数が少なくて、しかもその内の多くが疎開したとしても、支援が不要というわけではありません。疎開先でも支援が必要な場合も十分あるし、今現在も入ってくる支援を求める連絡からしても、沿岸地で我慢している方もいらっしゃるのは事実です。

 少人数だからこそ、理解・配慮がされず、言い出せずに困っている方に手を差し伸べ、その存在・必要性を社会に訴え理解を広めることこそが、行政機関でも一般企業でも出来ない、市民団体・NPOの役割です。

 あの手この手で、アレルギー支援活動をして行くしかありません!!

緊急支援の次は?!

 災害事務局から最近の状況をお伝えします。

 震災から1カ月以上が経つとともに、食べ物に関する緊急性を伴うSOS(支援要請)連絡が減りました。。。

 震災後2週間は、被災した親族や友人を心配して連絡が入ったり、避難先やご自宅から「子どもの食べられる物がない」、「備蓄が足りない」、「お店にアレルギー対応の食品がない」、などの連絡が入り、その都度、支援物資を集積・提供出来る場所を作ったり、現地の支援物資を管理しているアレルギーの会(患者会)と連携して支援物資をお届けしていました。

 また、宅配が動く所では避難所でも自宅でもダイレクトに必要な方へ送り、宅配が難しい場合でも、稼働している最も近い宅配集積所を突き止め、そこまで何とか取りに来てもらうように調整し、支援物資を確実に必要としている方にお届けしてきました。

 連絡が入るたびに、東北3県の拡大地図を見ながら、試行錯誤&不眠不休で支援活動をしてきた結果、
これまで、①職員が直接名古屋から東北へ支援物資輸送とともに宅配業者が動いていない地区の個人宅へ直接支援物資を手渡しいたしました。それではらちが明かないと、②各地で物資集積拠点の確立そしてそこで管理をしてくれる理解者・協力者の確保に務めました。そして、③その物資集積拠点から宅配がスムーズに出来るように、バイク・車輌ボランティアさんを募集いたしました。

 この支援体制が確立・稼働できるようになったために、今度は点在するアレルギーでお困りの方々に、私たちの支援活動を知ってもらい、支援の手が届くように、ボランティアさんや他団体、メディア、行政や医療機関と連携をしながら模索しています。

 緊急なSOSの連絡が減っても、この体制を維持・管理して、アレルギーでお困りでも声を出せずにいらっしゃった方まで含めて、多くの方を支援していきたいと思っています。

 また、今後の支援活動についても、改めて考え始める時期になりつつあります。

福島の布団

 震災から1ヵ月以上が過ぎ、被災者の方々の求めているモノが刻々と変わってきています。現地の担当団体や支援ネットでも、日々変わるニーズに随時対応しているところです。

 その一つが、ハウスダストやダニのアレルギーを持った小さなお子様の福島県いわき市在住のお母さんからの相談電話です。

 震災後、避難所では生活が出来ないと判断し、早い段階で民宿で生活をしていましたが、そこでアレルギー症状が出てしまいました。病院のお薬は一時的に症状が軽くなるだけ…。やっと家に帰っても、放射能を心配しお布団が干せない…。

 そんな悪循環で出した結論は、一時的に県外への疎開でした。それでも、疎開先のハウスダストでアレルギー症状が出てしまうかもしれない。お母さんの心配は尽きません…。

 そんな時にたまたま見かけたアレルギー支援ネットワークのポスター!(掲示してくれたボラさんありがとう!)

 電話相談を受けた支援ネットの担当者は状況を確認してすぐ、疎開先の施設にアレルギー対応の状況確認と関係企業に寝具の支援交渉・依頼をしました。

 そして電話を受けた翌々日の今日、担当者は相談者より一足先に疎開先となる新潟に必要な支援物資を自ら運び(車輛ボラさんと)、また施設の方へアレルギー患者への理解を促す説明をしてきました。

 被災者の方の悩みや不安、心配事は尽きないと思います。それでもそのうちの一つを解消するお手伝いが出来たら、そして被災者の方が少しずつ前に進むお手伝いが出来る事が支援ネットの喜びでもあります。また、今後類似した相談を受けた時にも、一つの経験として活かせる事も出来ます。

 全ての問題を解決することは出来ないかもしれないけど、支援ネットだから出来る活動で”支援”を続けて行きます。