被災地内の活動
今日は東北事務局の宮田スタッフは静岡から駆けつけたボランティアさんと一緒にエコライス号(長岡の協力団体から借りている2tトラック)に乗って新潟県長岡市まで支援物資の永谷園のアンパンマンカレーと福島県郡山市の米粉麺をとりに行っています。大船渡着は明日8日別のトラックをレンタルして帰ってきます。
さて、栗木は「震つな」から借りた日本財団のROADプロジェクトのベンツ車(なんと!憧れのベンツです・苦笑、ジープですが、車に違いはない)、左ハンドルにもようやく慣れて、走り回っています。
大船渡の宿泊所(気仙沼教育会館)
昨日、釜石市を訪ねたので、今日は釜石にある保育園への訪問です。
釜石市には10の保育園がありましたが、2ヵ園が津波で被害にあい開園されていません。子どもたちは慣れない園にそれぞれチリヂリに10人から10数人単位で別の保育園に通っているそうです。
10ヵ園の内、公立は1つしかなく、他は私立で、本日は6つの園を訪ねることができ、5つの園で園長先生らとお会いすることができました。
公立の園はアレルギーの子は3人で1人はアトピーの子、2人は生卵とマヨネーズはダメだが加熱卵ならOKで、支援物資は「除去はしていないので支援の必要な保育園にお渡しください」ことでした。
医師によって診断が違うことと、保育園で除去しても家庭では(除去)していないこともあり、保護者との意思疎通が難しいとのことでしたので、「ぜん息予防のためのよくわかる食物アレルギーの基礎知識」とアレルギー学会が作成したパンフなどをお送りし、保護者の方に渡していただくことになりました。
6つの園では全ての保育園に何人かのアレルギーっ子がいることが分かりました。
アレルギーの子と他の子が一緒に食べられるカレーと米粉麺を使った名取市で行った試食会の調理を話すと、どの栄養士さんも「作ってみたい」といわれ、「アレルギーの子も含めてみんなが一緒に食べられる給食をぜひ作ってください。」とお願いし、3回分程度の給食材料となる支援物資をお渡しすることができました。
それぞれの保育園の様子は個別の記事に分けて紹介します。
2011年6月7日 23:51 |
投稿者:ボラ中根 |
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去る6月5日、早朝より約2時間、名取市の復興イベントに参加した東北事務局(兼、熱気球パイロット)宮田スタッフの報告です。
(ちなみに、イベント情報は6月2日のブログ記事、事務局長のイベント報告は6月5日の記事を参照下さい!)
名取市「ゆりあげ港朝市」の熱気球体験。震災後生まれた2ヶ月の赤ちゃんから、お年寄りの方まで、約150名の方に搭乗してもらいました。「こんなに静かに上がっていくんですね」「朝市が全部見える~」「乗れて良かった」などなど、多くの方が初めての熱気球体験で、楽しいバルーン会となりました。
今回は街灯などがあったため、安全上、熱気球の浮かぶ高さは12mに制限。
気球に乗った皆さん「津波はこれより高かったなぁ」と。
普段、はじめて気球を見る方は気球の大きさに驚かれますが、今回の皆さんの感想に、津波の大きさを改めて感じました。
それでも、被災地の人は前向きに復興に向けて進んでます。僕らの方がパワーをもらいます。
(名古屋事務局から補足)
なぜアレルギー支援ネットワークが熱気球かと言うと・・・、
実は支援ネットはアレルギー対応食の試食会を開催し、多くの方にアレルギーについて知ってもらい、被災地での正しい配慮と理解をしてもらうための企画をしていたところでした。そこに、以前被災地ボランティアで参加してくれた方と名取市からのイベント参加オファーがありちょうどマッチングしたのです!
名古屋で長年、保育園でアレルギー対応給食の調理を担当していたスタッフが、被災地の屋外イベントで美味しく出来るように支援物資の食材で1ヵ月も前から研究をして献立を作りました!
試食会も大好評で、今後は、岩手県沿岸部の保育園などで災害時を含めたアレルギー問題解決の普及活動と、通常の被災者個人への支援活動を同時進行で行っていきます。
23:50 |
投稿者:ボラ中根 |
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先日の名取のイベントから引き続き岩手県で、支援ネットの災害担当栗木が新たな支援活動のため現地入りしております。また、今回は4月上旬に被災地ボランティアとして活動をしてくれた宮田さんも、東北の専従スタッフとして同行で心強し!そんな栗木からの活動報告です。
大船渡1日目、今日はIさんとSさん(共にボランティア)に大船渡の民間保育園9ヵ園を訪問していただきました。どの保育園にもアレルギーの子はおり、多いところで5人くらい少ないところでも1~2人は必ずおり、卵アレルギーの子が多いということでした。
その園もアレルギーの子どもも他の子の同じものが食べられる(永谷園カレーと米粉麺)食材の提供は歓迎され2~3回分程度のアレルギー対応の食材提供は歓迎されました。
大船渡保育園ではその場で写真が撮られ、お礼の絵手紙を受け取りました。
私(栗木)は釜石の教育委員会と釜石市給食センター、地域福祉課などを訪問しました。「震つな」から提供受けた日本財団ROADプロジェクトの左ハンドルの車(なんとベンツのジープです)を四苦八苦しながら運転しての釜石市入りです。
途中ガソリンスタンドによってその経営していた80歳以上と思われるお年寄りに話を聞くと、「うちの地域は昔、津波にあって、集落は全部高台に移動し、その教えを受け継いできたから被害はなかったよ」といっておられました。
祖先の教えを忠実に守りぬいた地域とそれが風化してしまった地域、仕方ないとはいえ、考えさせられる出来事でした。
静岡・焼津からきたボランティア・Sさんは「これより津波浸水危険地域」という道路標識に感心したといいます。静岡では小さな看板で気がつかないこともあり、大きな看板の設置は確かに大切と!
確かに!津波被害予想区域は何処も殆ど大きな被害を受けています。
大船渡から釜石にむけて走る国道はアップダウンを繰り返し、低いところは大きな看板が目立ちます。
その地域の被害のひどさは瓦礫が片付けられたとはいえ、まともに目を向けられないものばかりです。
2011年6月6日 23:59 |
投稿者:ボラ中根 |
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